働きたくない論①
就職活動に関するコンテンツの中でままある働きたくない論。この働きたくない論を真面目に考えてみる。
①は仮説設定の為やや理屈っぽいし粗いしなので、飛ばしてはいかがでしょうか。記事一番下の仮説をすんなり落とし込める場合は以降の文章を読むことは意味をなさないと思います。
まず、私が考えるのは働きたくない、は無条件に存在するものではない。と、言うのは、働くのが楽しい、苦ではないという人間も存在するからである。と言う事は、働きたくないは、働くという行為に対して何らかの意味が付与された状態だと考えられる。
(動物は省エネルギーを基本としているので、と言う反論が来るかもしれないが、しかし、例えば好奇心と興味、楽しさ、欲求を満たすだけを保障する職場があったとしてそこに行かない理由はあるのか?と考えてみれば、殆どの人間はないように感じる。と言うよりも、働くという行為の目的自体は何らかの欲求を満たす為であると考えて異存ないように感じられる。無論、これは限定的な条件下の出来事であるので、実際には異なるだろう。だが、そうだとすれば、異なる部分が働きたくないの存在の理由になるのではないか)
(最も、最初から何事にも意欲を消失している、しまった、と言う人もいるかもしれない。だが、ここでは、そういう人を対象にしない。理由として、そういう人を私は見かた事はない。理屈の上では存在するが、見た事がない。だからもしそうである、と言う人がいればありがたいのだが…)
そこで、働きたくない人は、働くという行為に自己にとって不都合な意味が付与された状態であると仮定しよう。
つづきます